2013-01-06

民主主義の行き着く先 と 電気 の関係

読売新聞が年頭から熱くなっている感じがする。

橋本五郎さんと曽野綾子さんの対談もとがった感じだったし、
現状の日本とこれからを論じるような企画も随所にあって、
どうしたのかしら、という気持ちになりながら読んでいる。
(好意的に読んでますけど)

その中で留めておきたいことを
記録しておこうと思う。



□■□ ひとつ目 □■□

1月5日(土)の「Nippon 蘇れ 私の処方箋」
で猪木武徳さん(青山学院大特任教授)のインタビュー記事

 19世紀フランスの思想家トクヴィルは、民主主義の行き着く先は個人主義と物質主義だと言った。
 そして民主主義社会は嫉妬社会であるために人々の行動や考えは平等化し、最終的には平等化された多数者が少数者を抑圧する「多数者の専制」を生んでしまうと警告した。 そこから解放される手段の一つとして、彼が重視したのも中間組織だった。

 トクヴィルはまた、宗教が大事だとも言っている。民主主義社会では、人々の関心はどうしても「現在」と「自分」に集中する。宗教はそんな人間を解放し、「将来」と「他者」に目を向けさせる。大衆の欲望に歯止めをかけるには、そうした宗教の役割を見直すことも必要になるだろう。



□■□ ふたつ目 □■□

(手元にその日の新聞がないため、覚えているかぎりのニュアンスですけど)

1月1日からの橋本五郎さんと曽野綾子さんの対談の中で曽野さんの言葉から

50歳を過ぎてアフリカと関わるようになってわかったことで、
電気の通っていない地域では民主主義は広まらない。
あるのは族長支配である。


-------------引用以上


電気や通信によって「民意」とでも言うようなものが生まれる。

当たり前のように民主主義社会に生きていると思っているけれど、
民主主義社会も歴史の中で見れば一つの制度であり、
誕生と終焉があるもの…。

そんなことを考えました。

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