「みんな(が)」という言葉が嫌いだ。
ということを最近自覚した。
「みんなそう思っていますよ」
「みんなそうだよ」
「みんなやってますよ」
いずれの言葉も、それを言われたとき
思わず頭に血が上るような感覚におそわれ
冷静に対処できなかったり、うまく言葉を返すことができなかったりした。
なぜだろう。
「みんなが~」と言われると、本当は
「じゃあ、あなたの言う”みんな”って誰のことですか?」
と返したい。
でも、それをやっても前向きな事態の発展にならないから、しない。
その人が「みんな」を引き合いに出すということは「みんな」という背景の圧力でもってこちらから反論する気力を奪うことをねらいとしている。
そこから無理に先に進むならば強引な口論にしかならないのは目に見えている。
相手を閉口させるための言葉。
コミュニケーションを拒否する言葉。
そういったものに対する敏感さは失いたくないものである。
そしてそれを何らかの形で作品に盛り込んでいきたい。
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